柏木工 買取

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柏木工ブランドコンセプト

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「あなたのため」のモノづくりは、トヨタ生産方式と熟練の技が実現しました
長く愛していただける家具をつくりたい。その思いが受注生産体制の原点です。
私たちの生産ラインには、形やサイズの異なるものが流れています。それは、「使う人のためのモノづくり」を貫くKASHIWAのこだわり。それを実現しているのがトヨタ生産方式です。必要なときに、 必要なものを、必要なだけつくる「ジャスト・タイム」。知恵と工夫をこらし、ムダを排除する「自働化」 。
2つの考え方をベースにした生産ラインの中で、それぞれの商品の製造工程を熟知した作り手たちが、1件1件異なるご注文にそって作業を行っています。トヨタ生産方式と熟練した作り手。
その一方が欠けても、KASHIWAのモノづくりは成立しないのです。

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柏木工の歴史

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昭和18年、蓑谷 清太郎氏が柏木工の前進「飛騨木材加工有限会社」を創立し、生地物の生産を開始しました。
昭和23年に「柏木工有限会社」に社名変更し、憲兵として従軍していた義理の弟にあたる関 道介氏が終戦後、
故郷の飛騨高山に帰郷し柏木工を手伝いました。
日本の復興が始まった初頭、南京椅子を最初に作り、この椅子こそ柏木工が作った最初の家具となりました。
焼け野原となった都心部では復興を目指し、屋台店や簡易店が急増し南京椅子は飛ぶように売れたようです。
そのような状況の昭和25年、米軍から5,000脚の注文が入るなど日夜を問わず注文が入り、新しい生産設備で工場は一気に活気づきました。
昭和27年、関 道介氏が経営を引き継ぎ、ウィンザーチェアが作るようになり最初は国内向けに販売されていましたが、アメリカ向けにも輸出が始まりました。
地元の豊富な木材資源を背景に、飛騨は昭和45年頃には年間3,000,000脚を輸出する大産地と成長しました。
これまで、市外にあった工場を現在の市内へと移転しまし、当時飛騨では初めての鉄筋コンクリートで工場が建てられました。
また、昭和46年さらに増加する輸出を目指し飛騨市に古川工場を新設しました。
ちょうどそのころ、古川工場の火災、オイルショックによる売上の激減、大量の人員整理の創業以来最大の危機がありましたが、
高度成長期による住宅ラッシュで輸出から内需への転換にシフトすることで、この危機を乗り越えることができました。
その後、バブル経済の崩壊までの安定し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われたた期間は、様々な商品や企画が誕生しました。
輸出においても新たな開拓を行うなど躍進しました。
家具を洋服のように、お客様のご要望に合わせて作るをコンセプトに「テーブルのイージーオーダーシステム」が導入されたのもこの時代です。
イージーオーダーは、家具の生産体制では画期的な導入で、その後、ほとんどの家具メーカーが同様の方法を導入するようになりました。
この「イージーオーダー」が、その後の「トヨタ生産方式」へと繋がる導線になります。
柏木工において、一番大きな変革をもたらしたのは「トヨタ生産方式」で、昭和63年には「トヨタ生産方式」の創始者でもある大野耐一様が来社され、
直接ご指導をいただけるという大変に幸運にも恵まれました。

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アドア東京では、柏木工の家具や雑貨を高価買取しています。

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